とある農大生の独り言

徒然なるままに

会計公準

財務会計には、公準というのが3つあります。

公準は、「こうじゅん」と読みます。

財務会計の公準とは、税務で言えば、大原則にあたります。公準が守られていなければ財務会計が根本的に成り立ちません。

 

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①継続企業の公準

これは、財務会計をするにあたって「企業」が「継続」してずっと続くものと仮定するということです。

本来、あるお店が儲かったかどうかは、そのお店の開店から閉店するまでの売り上げや費用を集計しないと、計算できません。

でも、財務会計は税金の申告などのために外部の人に報告する必要があるときに使うものです。

なのに、お店が閉店するまで、どれくらい儲かっているとかの報告ができないのでは困ります。

そこで、ずっと続いていくと仮定して(最長で)一年ごとに期間をくぎって利益を計算し、報告するようになっています。

 いつか書きますが、費用収益対応の原則や減価償却などは、継続企業の公準が前提にあるからなりたつものです。

 

②貨幣的評価の公準

これは、お店がどれくらい儲かっているとか、どれくらいの財産があるというのを、財務会計で表現するときは、お金の単位(=貨幣的評価)を使ってください、ということです。

たとえば、 このお店は、現金5000万円と100坪の土地と築4年の建物を資産として持っています、という報告ではなく、現金5000万円と1億の土地と4000万円の建物を持っており、合計1億9000万円の資産になります、という風に報告せよ、ということです。

 

貨幣的評価の公準のおかげで、

・おなじ貨幣、たとえば日本なら円を使っているお店なら、このA店よりB店の方が儲かっているという比較が可能になり、また

・上のように、いろんなものをお金に換算して、「このお店の儲けは◯◯円です」とお店という単位で儲けなどを報告できます。

 

③企業実体の公準

この中で最も重要視してもらいたいのが、企業実体の公準です。

これは、簡単に言えば、お店の財布とあなたの財布は、別にして、計算・報告してねということです。

 

たとえば、お店の営業のために100円のノートを買った場合は、お店の費用になりますが、お店の経営者が自分の趣味で使うために買ったノートはお店とは関係ないので、お店の費用の計算にはいれてはいけません。

 

お店の財布と経営者の個人的な財布を一緒にしてしまうと、どうなるでしょうか?

自分で使ったお金の内容を全て正確に覚えていて、かつ、自分で全て会計の処理を行う人ならいいですが、そうでない場合、どの分がお店の費用なのか、そうでないのかが分からなくなってしまい、お店がどれだけ儲かっているのかという計算ができなくなってしまいます。

会計の知識がある人からしたら分けるのは当たり前なのですが、案外知らない人が多くて、分けてなかったりします。

後で、めんどうなことになるので、これからお店を開く人は最初に必ず、お店用の財布と自分個人の財布を分けましょう。

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私は、学生の時は教科書に書いてあったのを、ふ〜んという感じで知識として知っていただけですが、働きだすと、経営者が財布をキチンと分けていないために処理が大変になったり、棚卸のときに、数量だけしか書いてなくて、単価を書いてくれなかったり、ということがあって、「公準を守らないとこんなにめんどくさいことになるのか!だから、公準を守らないとだめなんだ」ということに気が付きました。

 

公準の重要性は、公準が守られてない所為で苦労した人でないと気付けないのかもしれません。でも、これからお店をする人・している人は「期間をくぎって考えること・お金の単位で評価すること・そして、お店と自分個人の財布は分けること(一番重要!)がとても重要だ」ということを覚えておいてください。

 

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ちなみに、公準は明文化されていません

つまり、租税法律主義のように(覚えてますか?)、法律で、はっきりと「第◯条 財務会計では、継続企業・貨幣的評価・企業実体の公準と守らなければなりません」と規定されているわけではないということです。

 

しかし、公準が成り立た無いと、根本から財務会計が崩れてしまうので、「当然、財務会計をするにあたって守るべき」となっています。

 

たとえば、誰かにお世話になったら、「ありがとう」といいますよね。

別に法律で決められているわけではありません。

自分の感謝の気持ちを表現するために当然にすることです。

 

財務会計も誰かにお店の状態を表現するためのものですから、それと同じようなもんだと思っていてもいいのかもしれません。